おしゃべり広場 まとめ

 
第16回 おしゃべり広場にいらっしゃ〜い!        


                 7月29日(日)、第16回おしゃべり広場をけやきコミュミティーセンターで開催しました。

今回は武蔵野第四中学校の支援級の卒業生徒に水泳指導をしている元教員の小川義徳先生と、
一緒に活動をされている小田原圭介先生に、それぞれが現場で感じている教育の形について
伺いました。

司会進行 高橋幸三郎氏(東京家政学院大学教授 家族支援研究会)

《小川先生のお話》

武蔵野第四中学校の郡咲学級に昭和60年から平成8年までの12年勤めていました。それ以前は

三鷹第一中学校の支援級で教えていました。メインの教科は体育です。支援級で教えるうち

に「障害のある子どもたちに家と仕事の往復だけでなく、生活の中のもう一つの頂点を作り

たい」「精神だけでなく、体も鍛えてやりたい」と思い、部活動として水泳を三鷹時代に始めました。

水泳を教えていく中で、知的障害のある子も「生涯体育的なものをしなければいけない」と

いう思いが強くなりました。障害があっても「何かができる」と、その「できること」が一

つの存在意義になってきます。一つのことに自信をつけて、卒業したら、その自信を持った

子はまた別のことにも挑戦していけます。そしてそれは、人との繋がりに広がっていきます。

それをまずは水泳でやっていきたいと思いました。


当時の武蔵野市の親御さんたちは、親の方も子どもたちに「何かをやらせたい」というよりは、

「無事にすごせたら」という感じがありました。でも、「問題なく過ごせればいい」という

意識だった親御さんも、一つのことをやり遂げる子どもたちの姿を見て、意識が変わってい

きました。将来、生きていくための存在意義を作る。たった月に2回の活動でも、仕事以外の

活動でそうしたことをやれているという自信を持つことが大切。「その子の存在をどう作っ

ていくか?」、それを中学で確立していく必要があると実感しています。


 部活動では全国大会を目指すので、最初は部活動に消極的でも、そこに意識を向けて、よ

り意欲的に取り組むようになる子もいます。目標を持つことで誰もいなくても自分から取り

組める子も出て来ます。自分の生活を自分で作りあげる意識を持てる。その意識の違いは大

きいですね。

 これまでの経験の中で、子どもが伸びないのは教員が壁になっているケースがあるんじゃ

ないかなと思う時もありました。子どもは子ども同士、その中で学んでいくものが一番学び

が深いんです。特に養護学校の場合は、壁をものすごく作っているように感じます。日常生

活の中に一般の人を入れず、仲間の中だけで子どもを動かしていると、結局は大人が間に入

って、子どもの成長の邪魔をしてしまう。でも、できるだけ自発的に何かをしていくように

仕向けると、そこから一般の人とかかわれるチャンスが多くなる。そこに自分の存在意義を

感じるだろうし、大事にしてもらえると感じられると思います。できなくても大事にされて、

可愛がられるんじゃなくて、何かできるようになって、存在を認めてもらえるように育てて

いくことが大切。私はそうやってきました。


 学校は「こういった授業をしてくれ」という形を作りたがります。だから、「ここがわか

らない」という子には、なんとか練習させて、形だけでも覚えさせる。すると、中学に行っ

たら、結果的に「小学校の時はできたんだけど」ということになる。そのやり方では、実際

に身につけることができないんです。それを身につけさせるには、紙の上での学問としてで

はなく、買い物に一緒に行って、数値とモノの概念を一致させた上で学ばせる。買い物は一

人でできるのか、計算はできるのか? 一つだけじゃなく、二つのものを買うことができる

のか? そのあたりを実践でやっていくんです。子どもたちに「何故これをやっているのか

?」その意味をきちんと持たせてあげないといけません。そうしないと、ただ参加するだけ

の授業になってしまいます。そこに思いや意義や夢があることを伝えることが大切ですね。

自分自身、50代になってから、めんどくさいという感覚がでてきました。その経験を経て、

子どもたちの中にも「意識的に取り組みできない感覚」が出てくるケースもあると感じてい

ます。子どもに何か対象物を与え、手を伸ばさせるのは比較的簡単ですが、何もないのにそ

こに手をあげさせることは難しい。いかにやる気を引き出せるかが大切なんです。


私は、先生方ももっと心理学的なものや、発達的な段階への知識を年齢別に意識したほうが

いいんじゃないかと思います。子どもたちには段階的に学ぶ喜びを感じられるようにして、

成長とあわせながら、体を通して物事を覚えていくことも大切。それを通して、どうしても

できないこともわかってくる。それと、大きく体を動かさせることで、周囲も「本人が出来

ること」が見えてくると思います。成長の過程にあわせ、「存在を作る」ことを意識できる

といいですね。



《小田原先生の話》

郡咲で28年間、水泳を教えています。郡咲では上級生に活躍してもらって、下級生のモチベ

ーションを引き上げるようにしています。どういうことかと言うと、今はスイミングに通っ

ているお子さんが多いんですね。だから、中学に入ったばかりの子も結構泳げますし、短距

離のタイムは結構早いんです。でも、郡咲の上級生たちは泳ぎが遅くても、ものすごい量の

練習をしているので、2時間くらいは無休で泳げてしまう。そこで、「先輩はすごい」という

ことになる。そういう集団としての上下の関係を上手く刺激に変換していくようにしています。


 小学生では個に対して目を向ける傾向がありますが、中学は集団の中の人間関係が大切に

なってきます。だから、1年生でも道具の使い方が分かったら、上級生と同じコースに入れて、

上級生と同じことをするように指導しています。

もちろん最初はできませんが、真似をしながら子どもは成長していきます。また、上級生側も

「自分は先輩だ」という意識が芽生え、下級生の面倒を見るように。これは見ていて頼もしく

思える瞬間です。中学時代は集団としての意識と動きが生まれ、その中で自分の力を発揮する

ことを学ぶ時期。これは社会に出て行くための準備になります。


 指導の中で実感しているのは「自分の力を発表できる場がある子は伸びる」ということです。

それから、その背中をみることで、他の子どもたちも刺激を受けることですね。例えば、泳

ぎが嫌いな子どもも大会に応援に行って、メダルをもらっている子を見ると、「よし、来年

は自分もやる」と思うんです。それがきっかけで泳ぐようになった子も結構います。やっぱ

りそういう目標が大切です。


また、中には上手く泳げない子もいますが、そういう子には部活の中で何か役割を持たせる

ようにしています。毎年、上手く泳げない子には鍵の管理の役割をしてもらっています。あ

る子などは、泳いでいる時間はちょっと元気がないんですが、鍵をもった瞬間、とてもイキ

イキとしてくる。自分の使命を感じているようです。今後もそれぞれの存在意義を感じられ

る場になるよう指導していきたいです。



《参加者の声》

・運動が苦手。四中で水泳部に入り、最初は大変そうだったが2年になり積極的になった。

−水に入るのがイヤな子には本当にいやだと思う。でも、先輩のようになりたいと思うと、

練習をしようという気になる。心境の変化があると、人は変わります。

・コミュニケーションもとれ、身体能力もあるので、以前は健常児との関わり合いの中で

「どうしたらいいのか」と自分で考える姿勢も見られた。でも、むらさき学級(小学校)で

はそういった場面が見られないので、少し大事にされ過ぎているような気もしている。

・運動能力に関しては苦労した。でも、毎日やっていると、ある日突然出来るようになるこ

ともある。他の人より何十倍もの努力が必要だけど、継続は大切。


・子どもたちにお祭りのお店を任せることを始めた。どんなことをやりたいか、どんな風に

するとやりやすいかを自分たちで考え実行すると、お祭り後も繋がる関係になる。地域が近

くなった。先生との関係も同じ。どこかで一線を越えられればいいと思う。

・通常級と支援級とのつながりをどう持っていけばいいのか思案している。声をより多くか

けるようにして、最近はとても近い関係を持ててきたと思う。(中学教員)



 《最後に》

 子どもが一生楽しめるものを作ることは大切だと実感していたが、自分の存在を確立する
 一つの手段として、改めて水泳はとてもいいと思いました。親も子供の力をもっと信じるこ
 と、周囲にもそれを伝えていくことの大切さを再認識しました。
 
  第15回  おしゃべり広場にいらっしゃ〜い! まとめ 
 



6月26日(火)、第15回 おしゃべり広場を中央コミュミティーセンターで開催しました。

今回は参加者が感じている問題点を出しあって、意見交換を行いました。

司会進行 高橋幸三郎氏(東京家政学院大学教授 家族支援研究会)


《今回の内容》

 小学校にあがったばかり。友達との関わりのことを考え通常級に通っているが、宿題が多くて消化できない。

学校でもプリントが終わらないと休み時間がもらえず、それも子どものストレスになっている。先生は子どもの

努力は認めてくれ、子どもも先生を信頼しているが、意欲はあるのに出来ない現実がある。最近は学校に行

くのを渋るようになってきた。指示された意図が伝わらないことがあり、「何をしているのかわからないままそ

こにいる辛さ」を考えると、支援級に移ったほうがいいと考えている(現在通っている学校に支援級はない)。

 
 支援級を持つ小学校ではそんな対応は聞いたことがない。学校によって理解度が異なると思う。

 小学校1〜2年は通常級、3年から支援級に移った。通常級では同じ学校内に支援級があるせいか、先生

の理解も早かった。友達にも最初に受け入れられた感があり、その後もその環境に助けられた。勉強に関し

ては一旦横に置き、生活面の改善に徹した。学校生活では「できることは何か?」と考えた。宿題は本人が

こなせる形を考え、先生に理解してもらった。結果的に、「どういう方法ならこなせるか、教えられるか」という

ことを先生だけでなく、周りも自然に考えてくれるようになった。感謝している。先生と密に連絡を取ること、

味方になってくれる友達と保護者を見つけることを心がけた。現在も課題に取り組んでいるが、頑張れば

できることと、頑張ってもできないこともあるので、そこは親が見極めないといけない。生活面で困っている

ことに関し、できるだけ困らないようにする手助けをしていきたい。


 今は通常級から支援級に移る方向で動き出している。刺激をもらいたく通常級を選んだが、今は学校に行く

ことだけで一杯になり、神経が磨り減ってしまった。これからは支援級で本人のペースを作り、サークル活動

など他の活動で健常の子たちと接していきたい。


 支援級ではその子にあった宿題を出してくれる。全くやらなくていいとなると、他の子との関係もあるので、

先生と話し合い、どの程度できればいいかという線を作るといい。夏休みには大量の宿題が出る。それを見

ると親も追い詰まるが、そうならないようにしたい。


 中学の支援級に通っている。感情のブレが激しいのとこだわりが強いのでその対応が大変。
 
中学生の子がいる。良い学校があると聞いて、横浜から武蔵野市に越してきた。今は支援級で頑張っている。

これまでは子どもの行動がよめていたが、最近はよめない行動が増えている。子どもの意思を尊重しながら

生活しなければいけないので、コミュニケーションの手段を先生と一緒に考えていきたい。


 行事が大好きだけれど、興奮すると粗相をしてしまっていた。そんな時は、「どうしたら粗相をしないか」と見

るのではなく、下着を入れた「お助け袋」を用意して、自分で対応できるようにした。1年後には粗相をしなく

なった。


 通常級では追いついていかない気持ちが強くなってしまうが、支援級では自分でやりたいと思えることが

増える。それは支援級ならではのよさだと思う。


 中学に入った子が学校に行きたがらなくなってしまった。楽しいこともあるようだけれど、強制されることが

嫌なようで、最近は朝、起きれないこともある。


 親としては通常級の親御さんとの付き合いも欲しかったが、通常級では「お客様」になるケースがあると言

われ、最終的に支援級に入れた。結果として、その子にあった勉強の仕方で基礎をしっかり叩き込んでもら

え、とても良かった。今では本もすらすら読める。また、支援級のクラスの人数も20名弱いたので、世界が十

分作れると安心した。


 1,2年が支援級、それ以降は通常級に通っている。武蔵野市の場合、親から働きかけていかなければ何

も始まらないと実感している。ただ、親から働きかけていくと、段々と相手側の対応にも変化が出てくる。支援

級から通常級に行く際は、全ての教科書が読めるように漢字を勉強させた。通常級に入ったら入ったで問題

はあり、友達とのトラブルもなくならず心配はあるが、通常級で頑張っている。勉強面に関しては、読めるが書

くのが難しいので、対応を考える必要がある。


 はなみずき(特別支援通級学級。通常級の情緒障害児対象)に行き始めて変わった。はなみずきでの時

間は、彼が本当にほっとできる時間になっている。もっと行かせたいくらい。


 通常級にいると大人しい子が、はなみずきに行くとのびのびできる子が多い。はなみずきは自分を受け入

れてもらえると感じられるからだと思う。それが子どもの心の支えになっているよう。はなみずきの先生はしっ

かり伝える役目と、やさしく受け止める役目の先生をそれぞれ決めてやっているので、子どもたちもそれに反

応できていると思う。


 はなみずきから戻ってきた時、クラスメイトに「おかえり!どうだった?」と聞かれて、感謝した。先生の指導

次第だと思った。


 通常級がいいということではなく、どちらがその子に負担にならないかという点でみていかなければいけな

い。気分が落ち続けるような環境に置くのは、結果としてその子のためにならない。でも、ただ楽をさせてい

るだけでは、先が見えてこない。どの時点で何を見通して、将来に続く決断をしていいのかが難しい。目の

前に最善な選択があるようにみえても、長い先を考えるとそれが本当にいいのか判断が難しい。


 成人しているので、かなり昔の話になるが、まだ障害に対し社会からの理解がなかった頃、家内が先生方

に「何も期待しない」と言い切った。それで先生方もリラックスしたのか、結果的にはどの学校に行っても楽し

く過ごせたのがよかった。現在は作業所に通い、大きな悩み事はないが、親が年をとってきたので、今後の

ことが気がかり。


 幼稚園から高校までひとつの学校に通った。その学校でたくさんの支援を受けられたことは良かった。既に

成人し、こちらの言うこともほとんど理解している。穏やかで、何でも頑張ってやる子だが、たまに自制がきか

なくなることがあり、その時は対応が大変。現在も言葉が増えたり、できることが増えているので、チャレンジ

することが大切だと感じている。すべての子にあった取り組みを先生が決めるのは無理なので、親が「こんな

ことをさせたい」と提案していくべき。管理は必要だが、ほどよく色んなことを体験させてあげるといい。


 随分昔になるが、通常級に通っていた。「苛められる」という理由で通常級におくことにいい顔をされなかった

が、親としては「苛めをなくすのは先生の仕事」と思っていたので、意見があわず、色々大変だった。今思えば

先生が一番大変だったかもしれない。子どもに関しては、その子のやれることをやらせておいた。最近は以前

と比べて学校の取り組みも随分変わってきて、随分良くなったと思う。


 既に成人している。高校は行かず、最終的に塾で勉強を続け、大検を受けた。提出物はできるが、試験を

受けるという気持ちがわかないので、「試験を受ける」ことがネックになった。何度かトライし、ようやく大検に

通った。記憶力が良いのでそれを活かせる仕事をしている。


 特別支援をどうしていくかということもあるが、社会自体がよりバリアフリーになったらいいと思う。


 子どもの能力の見定めは難しい。今の社会保障の中にいれば、生きていけないということはない。

でも、より良く生きるということに関しては、親がアンテナを張っていくしかない。


 二次障害を起こすこともある。親ができるだけリラックスして子育てしていければと思う。



《まとめ》
  様々な意見が出ました。すぐには解決できない問題でも、話をしたり、既に体験してきた人からの

  アドバイスを聞くと、「一体どうしたらいいの?」から「どう取りくもう?」という前向きな気持ちになれ

  るようです。次回も多くの方のご参加をお待ちしています。

 
 
第14回 おしゃべり広場に いらっしゃ〜い! まとめ

 3月16日(金)、第14回おしゃべり広場を中央コミュミティーセンター第2会議室で開催しました。

今回はもとNPO法人サポートネット武蔵野代表の古野晋一郎氏に男親の育児参加についてお

話を伺いました。

  司会進行      高橋幸三郎氏(東京家政学院大学教授 家族支援研究会)
ゲストスピーカー 古野晋一郎氏(もとNPO法人サポートネット武蔵野代表)


   《古野さんのお話》

育児参加のきっかけ
我が家の3番目の子ども、次男の発達が少し遅いのではないかというのは、わりと早い段階から感じていま
した。でも、それまでも子育てはすべて家内に任せていましたし、次男が自閉症と診断されてからも、当初
は育児にあまり参加しませんでした。男親として息子に向きあい始めたのが、彼が8歳の頃でした。

多動で対応が大変で、家内もうつ状態になったこともあり、「家内に少し休んでもらいたい」という思いから、
週に一度、息子を外に連れ出すことにしました。また、息子が小学5〜6年の頃、本人が性に目覚めました。
その対応も家内では無理だということで、私の役割になりました。

かなり時間が経ってから、家内に「自分はこういうつもりで外に連れ出すようにしていたけど、ありがたか
っただろう?」と少々恩着せがましく言ったことがありました。すると、「その間、私は家の仕事をしてい
て大変でした」と返され、あまり感謝してもらえませんでした(笑)。

自分としては頑張っていたので、少しがっかりしましたが、その時、「自分がしたことを家内がきちんと認めて
くれていたら、父親としてもっと育児に取り組んだかもしれない」と思いました。世の中の父親に対する「育児に
関心がない、役に立たない」という母親の声も聞こえてきますが、夫も子どもと同じだと思って、女親がもっと
誉めれば、男親も子育てに協力するようになるのではないかと感じています。

見守り、共に成長する
息子が5歳の頃、当時住んでいた吉祥寺から三鷹に引越しました。息子は活発な子で、すぐに外に飛び出し
て行方不明になるので頭を抱えていたのですが、ある時、一緒に電車に乗った際に、手をぱちぱちさせて喜
んでいる息子の姿を見て、「外に出ていくのは、乗り物に乗りたいからではないか」と気がつきました。そ
れから、週に一度の息子との時間には電車に乗りに行くようになりました。

その他、国立の障害者スポーツセンターのプールにも通いました。育児というより私自身も体を動かして、
健康に良いことを続けていくような形でしたね。毎週のことなので、「面倒くさい」と思うこともありまし
た。ただ、ある時、「これまで自分はどうやって日曜日を過ごしていたのか。なんとなく過ごしていたのか
もしれない」と思ったのです。

子育ての楽しさを理解しているかどうかはわかりません。当事者としてはその時々の状況があり、必ずしも
楽しいことばかりではありませんでした。でも、息子と二人で過ごすことで、
いい思い出もたくさんできたと思います。私の健康面にとってもありがたかったですね。

息子は今年38歳になりました。今でも電車乗りが趣味で、良く出かけています。現在は一人で電車に乗る
ようになりましたが、一緒に出かける時は、私は息子をできるだけ自由にさせています。電車でも少し離れ
たところに座りますし、よほどのことがない限り他人の振りをしています。息子は羽田空港や成田空港が好
きなのですが、私はベンチで本を読み、息子は一日中好き勝手に行動しています。

トラブルもありました。かなり昔になりますが、レーガン大統領来日の日、親が知らないうちに一人で羽田
空港に行き、警戒態勢の中をうろうろしていたこともあります。警察に保護され、家内が慌てて飛んでいき
ました。Jマートに出かけ、建物内で便意を催したようで、トイレに間に合わなかったこともあります。

床を汚してしまい、「掃除はいいから、二度と連れてこないでください」と言われました。電車の車輪や扇風
機などの回転するものが好きで、扇風機を見つけると、どこでもかまわずスイッチをずっといじっていまし
た。そういうことをやめさせようと努力したこともありましたが、年齢が上がっていけば収まることだと思
い、無理にやめさせることはしませんでした。

様々な経験から得たこと
私は正直、家族の中に障害者がいることを特別なことだと思っていませんでした。私の家族に口蓋裂のもの
がいたので、障害に対して偏見がなかったからかもしれません。ですから、職場に対しても息子のことで特
に何かお願いをしたことはなかったですね。そういう意識でいたので、息子のやりたいようにさせてきまし
たが、養護学校を卒業する時期になって、お箸やお茶碗の持ち方が全くできていないことに気づきました。

これは失敗だったと思います。最近、息子は「海外に行く」という夢を持ち、張り切っているのですが、海
外では食事のマナーを重んじます。今の息子の作法は海外では通用しないので、なんとか直そうと試みまし
た。でも、難しいですね。成人になってからの習慣の改善は簡単ではなく、小さな頃からの訓練が必要だと
つくづく感じています。

我が家の場合、注意事項は絵に描いて伝えるようにしています。例えば、息子は寝る前に水をたくさん飲む
ので、それを控えさせるために、「寝る前に水をたくさん飲む→夜中にトイレに何度も行く→よく眠れない
→朝、なかなか起きれない→あーあ/仕事も眠くてできない→あーあ」と、図解入りで説明しています。

まあ、聞かないことが多いですが、不本意なことが書いてあると、「これ、取る」とクレームしてくるので、
趣旨は理解しているようです。知的障害者は視覚情報の方が情報として取り入れ易いケースが多いので、そ
れなりに有効だと思います。

息子の健康にも気を使い、雨の日でも風の日でも可能な限り歩かせるようにしています。今は三鷹市内の作
業所に通っていますが、通常大人の足で40分かかる距離を1時間以上かけて通っています。往復歩いてい
るので十分な運動になっていると思います。ただ、そのせいか大食で、あまりやせてはいないですね。
                                                                     
                                                                           
理解することの難しさ
コミュニケーションを取るのは簡単ではありません。特に卒業前後は本人が荒れて困りました。自分の感情
をコントロールできなかったようで、家の中を駆け回ったり、私とも殴り合いをしました。最近では真剣に
怒れば落ち着くようになったので、大分成長したと感じています。

作業所に通うようになってからも、精神的に不安定になったことがありました。職場で指導員を突き飛ばし
たり、家に帰ってきてから家内に掴みかかることもありました。危険なので、家内は夜だけ1週間ほどサポ
ートネットにお世話になり、息子が作業所に出た後に家に戻るという対処をしたこともあります。サポート
ネットを作る時は苦労もありましたが、結果的に避難所があって助かったな、と思いましたね。

結局、息子が荒れていたのは、その職場を辞めたいのにそれを口に出せないことが原因だったようです。家
で暴れた後、今度は「腰が痛い」と訴えてきたので、病院に行きました。しかし、そんなに痛いそぶりもな
く、もしかしたら精神的なものかなと思いました。念の為、職場に「腰をあまり使わない仕事に変更してほ
しい」と願い出たところ、「うちの仕事は力仕事しかない」と却下されてしまいました。その帰り道、車の
中で「こうなったら仕事を辞めるか」と切り出すと、驚いたことに息子が飛び上がるように喜んだのです。

その姿を見ながら、息子が荒れていた理由はこれだったのかと考えさせられました。昔から「電車に乗るに
はお金がかかる、そのためには仕事に行かなければいけない」と教えてきたので、職場がイヤでも「行かな
ければいけない」と思っていたのでしょう。辞めると言い出せずに苦しんでいたのだと反省しましたね。

私自身、自閉症の人たちの表現を理解する研修にも参加し、できるだけ本人に意思表示をさせるように、
息子自身に選択させるように心がけてきたつもりでした。でも、本人の気持ちを知るということは難しいとつく
づく感じました。

環境を整えるために
息子も38歳になり、私の年齢もありますので、親との分離−死別後のことを考え始めました。そう考える
と、親のいなくなった後、今の社会の中で彼がこれまでのように楽しみながら生きていくことができるのか、
かなり疑問が残ります。けれど、長い将来を考え、「親がいなくても大丈夫な環境を作る」ことをしていき
たいと考えています。

そのために、現在は成年後見の制度作りに取り組んでいますが、東京都の自閉症協会
で、「成年後見をやろう」と提案しても、なかなか前に進みません。昨年の秋に自分が体調を崩したことも
あり、この件に関しては本腰を入れなければいけないと感じています。

また、武蔵野市にはグループホームが3箇所ほどあります。三鷹市は精神障害者のホームはありますが、
知的障害者のホームが少ないので、その部分も考えていかなければいけないと思っています。それから、
父親同士がもっと気楽に話し合える場があったらいいですね。

現時点では東京都の自閉症協会の中にオヤジの会というのがあって、月に一度、飲みながら情報交換して
います。そういう会に男親がどんどん参加してもらえるようになったら嬉しいですね。

                                                                                           
 《参加者の意見》
                                                                  

男性が誉めて欲しいと思っていることに初めて気がついた。父親も育児をするのが当たり前と思っていたの
  で、これまで全く誉めてこなかった。反省した。 

関わる人に感謝の気持ちを伝えると、相手の意欲も湧くというのが勉強になった。

夫はしつけが厳しいので、子どもが避けていると思う。もう少し意識を変えてくれればいいのですが・・・。

子どもが一人で出かけるのが心配。周りに迷惑をかけるかもしれないと思うとなかなか出せない。

子ども本位でない親の行動を子どもは見抜くと思う。親の都合で子どもは動かないと感じているので、古野
  さんの放任主義はいいと思った。

父親の育児参加は十分ではないと思う。古野さんの話を父親たちにもっと聞かせたい。

 
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